2019年7月16日火曜日

2019年7月16日(火)2本の映画から学ぶこと

 さすがに寝るのも飽きた。夏風邪。だいぶマシにはなったけど、まだ完治せず。


 退屈まぎれに映画を2本みる。数ヶ月前からNetflixに登録しているので、そこにある映画ならどれでも見放題。

 1本目は、英国の歴史映画「未来を花束にして」。女性の参政権が認められていなかった時代に、男性優位社会と闘っていた女たちの物語。
 これが公開された当時、邦題が物議を醸していたことを記憶している。原題の「Suffragette」とはそのまま「女性参政権運動活動家」なのだけど、日本のタイトルはなんともふわっとした「未来を花束にして」。タイトルから政治色をすっかり抜いてしまうのは日本で配給する際の常套手段なのだけど、さすがにここまで変わるのはどうしたものかという論争が。喧々諤々。
 映画自体はとてもよい。メリル・ストリープとヘレナ・ボナム=カーターはやっぱりその役だねって感じ。主役のモード演じるキャリー・マリガンの表情が、どんどん険しくなる。夫に家を追い出され、子どもまで奪われて、もう何も失くすものがなくなった彼女の表情は、ひとつの決意に満ちていく。
 物語がどう収束するのか、もちろんここには書かない。映像がホワイトアウトしたと思ったらいつの間にか実際の記録映像に変わる。そこで、「嗚呼、これは実話なのだ。」と実感を込めて思い知らされるという仕掛け。

 さて、2本目。こちらはNetflixオリジナルのドキュメンタリー映画「マーシャ・P・ジョンソンの生と死」。マーシャって誰?って人の方が多いと思う。ぼくもそうだった。
 1969年に、米国のニューヨークにあるストーンウォールインというゲイバーで、同性愛者たちの一斉蜂起があったのはご存知でしょうか?ニューヨーク市警から度重なる嫌がらせを受けていた同性愛者たちが、ついに衝突へ向かう。その口火を切ったのがトランスウーマンのシルヴィアとドラァグクイーンのマーシャだと言われている。LGBT解放運動の発端となったこの事件の、伝説的なふたり。しかしマーシャはそれから23年後の1992年、遺体となってハドソン川から引き上げられる。
 警察は自殺としてその事件を処理した。しかし、彼女のことをよく知る友人たちは殺人ではないかと考えていた。「彼女は自殺をするような人じゃない!」
 映画は、そこからさらに25年が経って、再検証する過程を追いかけている。
 結局、殺人という確たる証拠は出ない。脅迫電話の記録から、見せしめにマフィアから殺されたのではないかという推測ができるだけ。失意に沈む関係者。
 マーシャと行動を共にしていたシルヴィアは、LGBTの解放運動が進む中で排除されてしまう。心身ともに疲弊したシルヴィアは、ホームレスにまで落ちぶれる。しかし、最終的には救いの手が差し伸べられた。彼女は後年、伝説の活動家として復活を果たす。この映画で救いなのは、そこだけだ。

 さて、なぜこの2本なのか。実は、自分を鼓舞したいがためだったりします。
 この21日に、日本でも参院選があります。ぼくは同性婚を求めている活動家として、選挙には必ず行きます。そこで皆さんにもお願い。同性婚にかかわらず、社会的弱者にやさしく手を差し伸べてくれる党に投票いただけませんか?
 『投票しない』ということは、多数派に加担していることとなります。現政権の目にあまる暴走は誰の目にも明らかだと思います。これを食い止めるためには、それに拮抗する野党(特に立憲民主、共産、社民、れいわ新選組)に票を入れるしか手がないのです。中には「白票」で抗議するという人も居ます。その気持ちは、解ります。しかしそれも結局、多数派に加担するだけなのです。ちゃんと自分の頭で考えて、入れるべきところに入れてください。
 日本はとかく投票率が低い。これは翻すと、民主主義が機能していないという状態です。日本は、近代国家として成熟していません。大多数の国民が選挙に行かず、積み上げられた問題を見て見ぬふりしているのだから、そう言われても否定できないと思います。
 特に、若い世代に言いたい。今、日本を動かしている60代〜80代の人たちは、後がありません。10年もすれば、彼らのほとんどがこの世から去っているでしょう。その時に、彼らが残す負債を払い続けるのはぼくらなのです。ただでさえ少子化の時代に、この国は方向転換を迫られています。自分たちがこの国を動かさなくてはいけなくなった時に、どういう国であってほしいかを、今からちゃんと考えませんか?選挙は、それを意思表示する場です。

 映画「未来を花束にして」も、ドキュメンタリー映画「マーシャ・P・ジョンソンの生と死」も、世の中に対して変革を求めていた人たちの話だ。歴史の中では大した評価がなされていないかもしれない。しかし、何より自分事として動かざるをえなかった。政治とは本来、そういうものだ。そうやってひとりひとりが参加して、作り上げるものだ。その原点を、映画を通して再確認いただければと思う。

2019年7月15日月曜日

2019年7月15日(月) 風の吹くまま気の向くままに、日記再開。

 2016年12月から、ほぼ6ヶ月間続けてた日記。だいぶ時間が空いてしまったけど、また再開しようと思う。今度は、日常の細かいところまでレポートするのではなく、所感を大ざっぱに書く。毎日は書かなくてもいいや。気の向く時に、気の向くままに。

 数ヶ月前に、小西康陽氏の単行本「わたくしのビートルズ」を買った。暇を見つけてはちょこちょこと読み進めている。この連休は少し遠出がしたいと思っていたのだけど、エアコンつけっぱなしで寝てしまったせいで風邪をひき、あまり出歩けない。ベッドの中でごろごろしながら、氏の本をさらに読み進めては、眠たくなったら眠る生活。そんな連休も今日で最終日とは。嗚呼。
 昨日はかろうじて高松に行った。雨が降りそぼつ中、古本市に足を運んだ。何か面白い古書が出てないかと探したのだけど、今回は外れ。めぼしいものは特になかった。
 知り合いを見つけては挨拶をする。出店者の方にも、お客さんの方にも。
 ふと、イラストレーターのブースを見つける。バッジやトートバッグやTシャツがぼくごのみだ。ミントグリーンのTシャツを見るなり一目惚れし、買おうと手に取ったのだけど、サイズが「S」しかなくてあきらめざるをえなかった。残念に思ってたら、ふと目に入った「似顔絵、書きます」の文字。早速、ぼくとパートナーと愛犬の似顔絵を描いてもらうことにした。
 若いイラストレーターの名前はyuk tamuraさん。簡単にスケッチをして、いざ本番。付けペンでさらさらと描く。15分もしないうちに完成。その出来栄えは感動的。いつか出す本の表紙には、この絵を使わせてもらおう。そんな妄想をしつつ。


 今年はめずらしく、梅雨らしい梅雨。雨の少ない香川県では、ほんとにめずらしい。
 今日の晴天はいつまで続くのだろう。久々に窓を開け放したら、とても気持ちのいい風が入ってくる。そしてぼくの風邪は、まだ治らない。嗚呼。
 夏風邪はあなどれんね。