2017年2月4日土曜日

2月3日(金)夜は今日も深く、遠ざかる君のことをただただ想う

 通常業務。
 お昼ごはんは、三好うどんへ。今週は行き過ぎ感あるけど、友人のお店だし、地域の経済循環に貢献していると思えば、これはよいことだ!(自己完結。)最近、肉かまたまにはまっている。もちろん、いりこのおにぎりも。
 終業後、すぐに晩ごはん。有希が実家からもらって来た、おばあちゃん作の筑前煮がとにかくうまい。ごちそうさん。
 夜7時45分の夜行バスに乗って、有希くん東京出張。バス停までお見送り。(つぶと子犬たちはお留守番。)
 その足で、比地大のsplash cafeへ。チーズケーキと紅茶を注文して、友人から頼まれているデザイン仕事の絵を描く。


 先週。何気なくTVをつけたら、中原中也の特集をしていた。それをみてちょっと気になったので、ネットで詩集を注文しておいた。それが今日、届く。
 1938年創元社刊「在りし日の歌」。ぼくが手に入れたのは、1981年ほるぷ出版刊の復刻版。オリジナルを踏襲した装丁なので、それにした。
 中原中也は、「汚れつちまつた悲しみに」の一節を引っさげて、もう何回もブームになっている。ぼくはその度、「ふーん」とそっぽを向いていた。若くに逝去した天才詩人という他は、あの独特な出で立ちの写真くらいしか知らない。
 そんな中、彼を主人公にした漫画「最果てにサーカス」(著・月子)を、昨年たまたま手に入れて読んだ。友人である小林秀雄と、元々は中也の恋人であった女優・長谷川泰子の間で、三角関係が展開される。その人間ドラマが、読んでいて面白かった。また、要所要所に出てくる詩の使い方もよかった。それでようやく、ぼくもちゃんと読んでおこうという気になったのだ。
 「詩」というのは、作家の人生における抽出物である。しかし、読み手が受け止めた瞬間、それは読み手の解釈に100%委ねられるべき物でもある。(誤解・曲解を含めて。)中原中也の存在を知りつつ、ずっと読んで来なかったのは、後の人間が操作したイメージに心底辟易していたから。ロックスターか何かのように、中也の写真を詩集の表紙にする安易さだけはとにかくいただけない。
 就寝前、子犬たちの体重を量る。白い毛色の「もも」は450g(昨日より+83g)。茶色い巻き毛の「くり」は380g(昨日より+45g)。茶色ストレートの「かき」は330g(昨日より+42g)。耳の毛が生えてきた。 かわいさも倍増中。

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