2017年1月22日日曜日

1月21日(土)愛とは本来、それだけを名指して語られるべきではない

 休日。
 午前。朝ごはんを食べないまま、日記書いたりごぞごぞする。さすがにおなか減った。
 昼前。有希が徳島に向かうのを見送って、ぼくも外出。善通寺へ。こがね製麺でうどんを食べて、四国学院大学内のノトススタジオへ。青年団のお芝居「愛の終わり -Clôture de L'amour」を観る。
 昨夜から、独り芝居づいている。正確には独り芝居ではないのだけど、演出のコンセプトとしてそうなっている。内容は、別離(タイトルの通り、愛の終わり)を迎えたカップルが、互いの言い分をまくし立てるというもの。前半は男の言い分。後半は女の言い分。きっかり、半々。片方が発言している間、もう片方は発言をしない。そういうルールに則って、演じられる。ただし、無言のリアクションはある。相手から言われていることに反応して、もう片方はその場でうつむいたり、憤ったり、泣いたり、絶望したり、崩れ落ちたりする。「こういう演出もありなのか!」という感じ。
 正直。他人の恋路ほど、どーでもいーものはない。双方の言い分をどんなに細かく聞いたところで、当人同士にしか解からない『機微』については、第三者が客観的に判断できるシロモノではないからだ。聞くだけ不毛じゃないか…。お芝居とはいえ、それを2時間20分たっぷり聞かされた気分。面白かったけど、さすがに疲れますた。
 男は、一方的に悪態をつく。ここぞとばかりに、女を責め苛(サイナ)む。一方の女は、男の悪態に傷つきながらも、ふたりが確かに歩んで来た道程の全てを肯定する。「薔薇の刺繍が入った椅子だけは俺が持って行く。」という男に対し、女は「わたしは何も要らないわ、全部あなたにあげる。でも、あなたと恋に落ちた瞬間の、あのあなたの笑顔を、私は持って行くわ。」と云う。「あなたがこの愛を独りよがりに終わらせるのだから、わたしもいい想い出だけ独りよがりに持って行くわ。あなたにそれを汚す権利はない。」女の確かな『愛』を前に、男はなす術もない。
 ノトススタジオから徒歩1分の距離に、カガラカンという雑貨屋さんがある。フェアトレードの商品や作家ものの雑貨を扱うお店で、珈琲が飲めるスペースもすこしだけある。観劇後、そこでカフェオレを飲みながら、店主さんと雑談をする。
 夕方。愛犬つぶの散歩。妊娠中なので、そんなに遠くまでは行かない。つぶの退屈をまぎらせる程度。
 また、外出。
 ホームセンターで、愛犬部屋の扉と蝶つがいなどの部材を買う。
 docomoショップで、スマホ契約1ヶ月目のオプション選択。有料のサービスは、基本的なものを残して全て削除。映画やドラマが観れるというサービスにすこし心を動かされるも、テレビで観るには別に機材が必要と云われた瞬間に、すっかり冷める。要らない。(スマホの画面で映画を観るのはさすがに無理。)
 本屋で、漫画「うどんの国の金色毛毬」第9巻を買う。アニメは終わってしまったけど、漫画はまだ続いている。(アニメのあの終わり方は不服だ。漫画の最終回は、それと違うことを願う。)
 スーパーで半額になったお惣菜を買って、帰宅。

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