2017年1月23日月曜日

1月22日(日)「反戦」ではなく、ほんとは「非戦」であるべき

 休日。
 午前中はやはり、前日の日記を書く。仕事をしている平日は、仕事の休憩時間にちょこちょこ書いていくのだけど、余裕がないから文章がとても稚拙になる。推敲して、推敲して、推敲して、結局、夜にやっと完成する。その点休日は、文章を書くことだけに集中できるから、早い。
 昼前。起きてきた有希と、昨日みた演劇の話をする。コンセプトで評価されている(?)演劇について。
 高知に出発するまでまだ少し時間に余裕のある有希を残して、ぼくだけ先に外出。
 仁尾町のSun cafeへ。白方牡蠣とブロッコリーの1月限定ピッツアを頼む。浅野君とこのレモンをたっぷりかけて、いただきまーす。うまい。
 その後、すぐそばのcafe Verandaへ。愛犬のつぶと行くことが多いけど、今日は1人。そのカフェの看板犬ジャンくんは、ぼくが来るとつぶも必ず来ていると思うらしい。ぼくのコートやズボンについているつぶの匂いを確認したら、玄関までいそいそとお出迎え。でもつぶは、一向に来ない。「あれれ?」って、ちょっと混乱気味。「ごめんねー。今日つぶは、お家で留守番なんよ。妊婦さんやけん。」
 海側の席に着いて、紅茶を頼む。持って来た本を、片っぱしから読む。
 漫画版「この世界の片隅で」、読了。映画で改変した箇所が、どうしても知りたかった。戦争中にも日常はあって、現代のそれと本質的には変わらない。起きて、朝ごはんを食べて、仕事に行って、仕事して、お昼ごはんを食べて、仕事して、帰宅して、晩ごはんを食べて、お風呂に入って、寝る。戦争の影はそこに、少しづつ侵食してくる。しかし、多くの人の関心事はそれでも、「今夜のごはんはどうしようか」とか、「限られた食材でどう乗り切ろうか」とか、「自分のすきな人は果たしてほんとうに愛してくれているのだろうか」とか、「この家にわたしの居場所はあるのだろうか」とか、そんなことばかりなのだ。そういう視点から描いた戦争漫画は、これまでなかった。戦争という非日常の中で、暴力に抗うことばかりがテーマとして掲げられてきたからだ。
 ネット上の批判には、「反戦色」をなくし過ぎだという言い分が見つけられる。でも、そうだろうか?戦争は突然始まるわけじゃない。そのはるか前から兆候はあって、国は『戦争ができる状況』を少しづつ整えていく。国民の多くは、その過程を「戦争」とは認識しない。爆弾が降ってきて、身近な人が死んで、そこでやっと「これが戦争なのだ」と実感する。そうなった時にはもう手遅れだ。暴力が、無辜の人々の命を根こそぎ奪い去る。
 主人公のすずは、流されるがままに生きてきた。この人生を、自分で選んだという自覚もない。結婚をしても、子どものままで居られた。しかし、彼女が大事にしているものを、戦争は容赦なく奪っていく。そしてそれは彼女を、否応なく大人にする。「うちも知らんまま死にたかったなあ。」この台詞がどんなに重いか…。
 本から顔を上げる。すっかり、長居してしまった。窓の外は冬の嵐。横なぐりの雪が、鋭く吹きつける。
 コートを着て、マフラーを巻いて、代金を払って。スタッフのおふたりと、しばし犬談義。ひとしきり話した後、お店を出る。雪はすでにやんでいる。
 夕方、つぶの散歩。そこいらをぐるり。
 西日本放送の中桐アナウンサが、演劇をテーマにしたラジオの生番組をやるらしい。有希のボスであるシアターデザインカンパニーの植田さんも出演するということなので、車の中のラジオで聴く。スマホからメールも出したが、採用はされなかった。残念。でもこんな風に、地元密着のメディアがもっともっと取り上げてくれたらいいね。
 今夜もPICASOで、お惣菜を買ってきて、食べる。1人だと作るのメンドクサイ。

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